知財価値評価とスタートアップ企業の知財戦略

この記事に書いてあること

  • 営業利益率と総資産回転率を改善する知的財産・知的財産権は、スタートアップの事業価値を向上させる
  • 登録意匠(デザイン)を製品に実装する費用は、特許発明や登録実用新案を実装する費用よりも低くなることが予測される
  • 知的財産の活用がどのようにして利益を生み出すかを検討することが重要
  • キャッシュフローを増大させ、企業/事業の価値を高められる場合がある

目次

  1. 目次
  2. 成長戦略に重要な知的財産
  3. 知財価値評価の具体的手法
    1. コストアプローチ
    2. マーケットアプローチ
    3. インカムアプローチ
  4. 知財価値評価と知財活用融資
  5. ROAを改善する知的財産権
  6. まとめ

成長戦略に重要な知的財産

スタートアップの成長戦略において、知的財産は重要であるとよく言われています。しかし、どのような知財戦略が重要かについては、まだコンセンサスが得られていません。

大企業の場合、知的財産権の数は確かに重要です。それは、Google による Motorola Mobility の買収事例に象徴されています。一方で、多数の知的財産権を取得するには、多くの場合、コストと人的資源が必要になります。そのため、中小・スタートアップ企業は多くの場合、多数の知的財産権を取得することが困難であると考えられます。これは、資金力と人的資源の不足によるものです。

多くのベンチャー・キャピタル (VC) は、スタートアップ企業に対して、成長市場の特定のニッチをカバーする知的財産権を取得することを要求します。しかし、知的財産関連の問題に精通しているごく少数のベンチャーキャピタルを除いて、知的財産権は残念ながら品質面において評価はされていません。

知財価値評価の具体的手法

資産価値の評価においては、課税・会計、資産譲渡、融資、企業買収等のさまざまな経済活動の局面において、その目的に応じたさまざまな手法が採用されています。このため、全く同じ資産を対象としていても、状況に応じて、具体的評価方法や評価額は異なるものとなります。

例えば、それが課税の局面であるのか、譲渡の局面であるのか、あるいは損害額算定の局面であるのか、に応じて、具体的評価方法や評価額は異なるものを採用しないとならないのです。一般に、資産価値の評価にあたっては、当該資産の性質と価値評価の目的に合わせて、コストアプローチ、マーケットアプローチ、インカムアプローチ、という3つの異なる手法が採用されています。これらの手法には、それぞれの長所と短所があるので、そのような短所と長所を理解しつつ使い分ける必要があります。

手法内容価値評価における長所・短所
コストアプローチ再構築にかかるコストから価値算定算定基準がわかりやすい。
売買価格に見合う利益が得られるか不明。
マーケットアプローチ取引市場における一般的取引価格から価値算定価格決定手法として信頼性が高い。
先行する取引事例が不足。
インカムアプローチその資産から将来得られるキャッシュフローから価値算定評価手法として経済的に合理的。
将来の予測に基づく評価。

コストアプローチ

コストアプローチとは、対象となる資産を再構築すると仮定し、それに要する費用の積算額から資産の価値を決定するものです。ここで、コストアプローチの算定根拠は資産の再構築に要する費用であるため、算定根拠が明確であって、評価額を客観的に決定しやすいと言われています。一方で、資産譲渡等の局面での利用においては、対象資産について、将来果たして、評価額と同等の利益を生み出すことができるのかが明らかではない場合もあります。このような場合、契約当事者の納得感が得られにくいという欠点もあります。

例えば、コストアプローチにて特許権の価値を算出する場合、発明創出に至る研究開発費用や、出願料、出願審査請求料、登録料に加え、特許出願や中間対応等に要する各種代理人費用を積算した額となります。このため、技術分野ごとに同類の特許権であれば概ね、一定の範囲の評価額に落ち着くこととなります。しかしながら、特許権といっても、発明の内容に応じて経済的に高く評価される特許権と、経済的な評価の低い特許権が存在していることは広く知られているところであり、コストアプローチをすべての知的財産権の評価に適応することが、問題を孕んでいることは明らかでしょう。

マーケットアプローチ

マーケットアプローチとは、その資産の取引市場において、一般的に成立する価格を以て当該資産の価値を評価する手法です。マーケットアプローチによる価値評価は、価格決定手法として信頼性が高いと言えるものの、知財価値評価の場合等、一定の規模の取引市場が存在していない場合には、先行する取引事例の不足から価値評価を行うことが困難である、という短所もあります。

インカムアプローチ

インカムアプローチとは、その資産から将来得られるキャッシュフロー(現金の流入額)をもとに、資産の価値評価を行うものです。インカムアプローチは、知的財産権の評価手法としては経済的に合理的であるという長所があります。しかしながら、あくまで将来予測されるキャッシュフローに基づく評価であるため、正確な価値の算出が難しい傾向にある、という短所もあります。

インカムアプローチによる知的財産権の価値評価においては、まず、その知的財産権を用いて実施される事業の価値評価を、その事業から得られるキャッシュフローをもとに行います。そして、例えば、資産控除法では、事業の評価額から、金融資産価値や、有形資産価値を控除し、技術の寄与分を積算したりします。また、利益三分法や、ルール・オブ・サム法では、総資産に占める、一般的で平均的な無形資産の割合から無形資産の価値を算出したりすることもあります。

いずれにせよ、知的財産権の譲渡や、知的財産権を対象とする担保権の設定については、あくまで、当該知的財産権を利用した事業と共になされることも多いと言われています。よって、個別の知的財産権の価値を評価する側面はあまり一般的ではなく、かつ個別の知的財産権の評価に特段大きな意味がないケースもあるといえます。とはいえ、知的財産権を利用した事業の価値が高く評価されるのであれば、必然的にその事業で利用する知的財産権の評価も高くなると推認されます。よって、インカムアプローチで定性的に知的財産権の価値を検討することには有用性もあると言えます。

なお、キャッシュフローとは、若干聞きなれない用語かもしれないが、一般的に当期におけるキャッシュフローは、以下の数式を基に算出されているものです。

(キャッシュフロー)=(税引き後営業利益額)+(減価償却費)-(固定資産投資額)-(正味運転資金の増加額)

ここで、正味運転資金の増加額とは、売掛金債権/買掛金債務や、棚卸資産を通算した額の増加額を意味します。

減価償却額、固定資産投資額、正味運転資金の増加額は、いずれも、当期において収益の増減があったとしても、当期においては現金の流入・流出を伴わずに繰り越される費用や、現金の流出があったとしても、会計上、当期における収益額から控除されない出費項目等です。キャッシュフローとは、これらを、営業利益に加算や減算したものといえます。

このため、キャッシュフローを長期で通算すれば、必然的に営業利益の額と同額に収束していくものと理解されます。

そのような意味において、インカムアプローチにおいて高い評価を受ける知的財産権とは、その知的財産権を利用した事業において、将来より多くの営業利益をもたらす知的財産権とほぼ同義でしょう。

知財価値評価と知財活用融資

知的財産の取引市場が十分に整備されていない現状において、知財の評価は「インカムアプローチ」に基づき、将来のキャッシュフローを積み上げて行われることが多いようです。

インカムアプローチによる知財価値評価の具体的な計算方法には様々なものが知られています。基本的な考え方は、以下のようなものです。まず、将来のキャッシュフローから事業価値を算出します。次に、有形資産の価値を差し引いて知的財産の価値を評価するというものです。例えば、新興企業が純損失を計上している場合、EBITDA (利息支払前税引前減価償却前利益) などの非GAAP ベースの指標が重要となる場合もあります。通常、先行投資に関連する費用は、EBITDAを計算する際に売上高から差し引かれることはありません。

ところで、銀行が知財権の存在を考慮して融資を決定する際には、知財価値評価が重要だと言われています。しかし、スタートアップ向けの融資の多くのケースでは、知的財産権の存在を考慮して融資がなされる場合、債務者の有形資産に担保権が設定されることが多いと言われています。このため、知財活用融資は、比較的多数の有形資産を保有するスタートアップに、実質的に限定されるてしまうこともあります。

一方、知財価値評価を、キャッシュフローやEBITDAの額を評価することにより実施するのであれば、営業利益が高い事業をカバーする知的財産権ほど経済的価値が高いと評価できる可能性があります。

ROAを改善する知的財産権

例えば、総資産利益率(ROA)を考えて見ましょう。ROAは、いわゆる、事業利回りを意味し、営業利益や純利益を総資産で割ることによって得られます。そして、このROAは、営業利益率と総資産回転率の積として表すこともできます。したがって、この 2 つの指標、つまり営業利益率と総資産回転率を改善する知的財産・知的財産権は、スタートアップの事業価値を向上させる、と捉えることができます。 

片手にiPhoneを持った人の写真

米国企業の事例を参考に考えてみれば、例えば、Apple社の場合、自社の製品デザインをカバーする意匠権(Design Patent)に焦点を当てた 知財戦略を起案しています。一般に、登録意匠を製品に実装する費用は、特許発明や登録実用新案を実装する費用よりも低くなることが予測されます。これは、多くの場合、特許発明や登録実用新案の導入に、高価な部品や材料を使用する必要があることが多いためです。したがって、登録意匠の実装は、同じ知財の実装であっても、製造コストの低減につながる可能性があります。これは、営業利益率の改善につながり得ます。

粗利益率/営業利益率は価格上昇/コスト削減により改善し得ます

なお、登録意匠の実装は、商品の外観を洗練させる効果もあります。このため、製造メーカーは製品に対してより高い価格を設定することすら可能です。さらに、新興国ではインフラ不足や市場の一人当たり名目GDPの低さなどから、ハイスペックな製品が流通しにくい状況にあります。このような観点から、登録意匠による商品価値の創造は、マーケティング戦略としては重要なのかもしれません。

Amazonが取得した有名なワンクリック特許(One Click Buying Patent)については、Amazon のプラットフォームにユーザーのクレジット決済情報と配送情報が事前に登録させるものでした。ワンクリック特許は、もともと、カート離脱率の低下のために開発されたものでしたが、これにより、決済にかかる時間の短縮が可能となりました。もちろん、ワンクリック特許は、プラットフォームの利便性を向上させることで、多くの顧客を獲得してきました。これにより、プラットフォーム上の取引数も向上したと言われています。これは、Amazonの事業の総資産回転率を改善させるものです。

Amazonは、「キャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC)」を考慮して事業展開している、と言われています。たとえば、近年、配送関連の特許権(Utility Patent)を取得しつつ、即日・翌日配達を拡大しています。知的財産権を活用した、即日・翌日配送の拡大の目的は、「キャッシュ・コンバージョン・サイクル」の改善にあると言えるのかもしれません。

取引頻度の向上により、総資産回転率を向上させることができます

まとめ

結論から言うと、資金や人材の不足に悩むスタートアップ企業が知財戦略を立案する場合、知的財産の活用がどのようにして利益を生み出すかを検討することが重要です。その結果としてキャッシュフローを増大させ、企業/事業の価値を高められる場合があります。これは、営業利益率および/または総資産回転率を改善する戦略と関連していると考えられます。知的財産権を活用することにより、事業の利益率を高め、他社に対する競争優位性を維持していきましょう。


この記事を書いた人

渡辺浩司 (Koji Watanabe)

Tokyo IP Consulting 代表弁理士。東京大学理学部卒業、同大学院理学系研究科修士課程修了、同博士課程中退。2006年より弁理士。特定侵害訴訟代理業務付記。2級ファイナンシャル・プランニング技能士。2014年にドイツ連邦共和国 Eisenführ Speiser・大韓民国YOU ME特許法人インターン。複数の大手特許事務所・特許法律事務所に勤務。都内特許事務所所長代理。独立行政法人日本貿易振興機構イノベーション・知的財産部出向。外資系設計会社財務法務担当取締役等を経てTokyo IP Consulting設立。


Reference

  1. 渡辺浩司, 「知財価値評価とスタートアップ企業の知財戦略」, 月刊パテント, Vol 73, No. 4, p. 46-51, 日本弁理士会 (2020) [Link][YouTube]
  2. ”IPR Valuation and IPR-related Strategies for Startups” , Confederation of Indian Industry (CII), New Delhi, Online, Jul. & Sep. 2020 [Link]
  3. 知的財産権を利用した経営戦略のススメ, インド知的財産研究会, 2021年8月[Link][Trailer]

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