情報の非対称性の解消に特許図面が果たす役割

この記事に書いてあること

  • 経済学では情報の非対称性が市場の流動性を低下させるとされており、「シグナリング」による情報開示が有効とされる。
  • 特許図面の活用により、視覚的情報伝達手段として、専門知識がないステークホルダーや行政担当官にも技術内容を理解させやすくなる。
  • 特許図面の活用により、金融機関とのコミュニケーションを円滑化し、知財担保融資の促進に貢献しうる。
  • 海外における特許権取得における、言語や制度の違いによる誤解を防ぎ、現地代理人や審査官との情報ギャップを縮小する可能性がある。
  • 特許図面の適切な活用により、特許権の流動性向上と取引コストの削減が期待される。

目次

  1. はじめに
  2. 知的財産の流動化と図面
  3. 審査時及び権利行使時における図面の意義
  4. 海外での権利化における特許図面の意義
  5. 税関差止めにおける特許図面の意義
  6. 特許明細書の不自然訳・誤訳問題
  7. まとめ

はじめに

経済学者のジョージ・アカロフは、1970年に発表した論文の中で、米国における自動車中古車市場に対する研究の中で、次のような議論を行なっています。中古車の需要者と供給者との間に情報の非対称性が存在すると仮定する場合、市場均衡が達成されません。こような場合、質の高い中古車はより安く買い叩かれ、質の低い中古車がより高く売りつけられやすくなると説明されます。そして、ジョージ・アカロフは、その結果、質の高い中古車が市場に流通しなくなる、市場取引自体が不可能となる可能性を示唆しました。この研究成果に対しては、2001年にノーベル経済学賞が授与されています。そして、情報の非対称性に関する理論は、現在、不確実性を有する市場での取引一般で成立する事項であると捉えられています。

一般に何らかの取引を行う場合、売り手側のみが専門知識と情報を有し、買い手側はそれを知らないという、取引当事者双方が保有する情報に差があると考えられます。そのため、買い手は、商品の質の良し悪しは見分けられず、質の高い商品が割高、質の低い商品を割安と評価してしまう可能性があります。結果として、質の高い商品が市場から退場してしまうの可能性があります。例えば、一般に、品質のばらつきのある商品が多数出品されている中古EC市場において、品質が比較的高い商品(例えば、中古ブランド品)が出品されていたと仮定しましょう。その場合、消費者は、市場における品質の低い商品や模倣品の存在を念頭に、その商品の品質に相応な価格では取引を行わず、低めの価格で取引を行う傾向があることがあります。

つまり、情報の非対称性の問題は、多かれ少なかれ、取引一般において成立するものであると考えられます。

それでは、このような状況はどのように解消できるのでしょうか。一般に、情報の非対称性が存在する状況においては、「シグナリング」と呼ばれる、情報の開示が取引の活性化に有効である、と説明されています。

知財担保融資に消極的である理由の調査結果(複数回答あり)。必要性を感じないが2、経験・ノウハウ不足が20、社内における制度や運営が不十分が12、資産査定上で不利が3、対象とする知的財産権がカバーする権利範囲が不明瞭が10、担保処分が困難が15、担保評価が困難が23、審査や債権管理に時間、コスト、労力がかかりすぎるが10、案件が不足しているが16。
知財担保融資に消極的である理由; 藤原綾乃,「知財担保融資の将来性~中小企業の知的資産経営と金融機関~」(2015) から抜粋して編集

これを知的財産関連取引の話として考えてみましょう。一般に知的財産権はその内容が理解されにくく、知的財産権者とその取引者との間で情報の非対称性が存在する、という問題が存在します。なお、具体的に知的財産権の取引者とは、例えば、銀行等、知財関連融資を実行する金融機関や、知的財産権を購入したいと考える事業者が例示されます。実際、知財担保融資を例に取ってみると、2011年に信用金庫に対して実施されたアンケート調査では、知財担保融資に消極的な理由として、情報の非対称性に関連する理由等が、知財担保融資の活用が進まない理由として回答された、とする報告もあります。そのような理由を具体的に例示すると、例えば、対象とする知的財産権がカバーする権利範囲が不明確であること(36信用金庫中10信用金庫)や、担保評価が困難であること(36信用金庫中23信用金庫)等が挙げられます。

そして、このような状況は、実際の知財関連取引における、知的財産権の流動性の低下や、知的財産権関連取引に付随して必要となる、取引コストの増大を引き起こす、と理解されます。この取引コストの増大は、例えば、リスクに応じた高めの貸付金利や、知財ビジネス評価書の作成費用の発生等という形で、取引者の負担となっていきます。

一般的な係争の場面においても、原告・被告間での情報の非対称性の存在が、係争リスクや係争コストを高めている可能性も考えあれます。そのような可能性を考えれば、シグナリングによる情報の開示が、効果的な知的財産権の活用を可能にする可能性も排除できません。なお、このレポートで言及する「手続コスト」や「係争コスト」については、単に特許印紙代、収入印紙代に限定されるものではなく、例えば、社内で生じる人件費、弁理士・弁護士費用や翻訳費用も含めた外注費や誤訳対応のための費用、逸失利益等、費用及び経済的損失一般を指すものとします。

特許権の取得や特許権の行使に多額のコストが発生する事態となる場合、これは、特許出願人や特許権者に対する、特許権取得・維持の上での負担を増やす形となります。よって、結果として特許権を取得するモチベーションを低下させ、特許権関連取引における特許権に対する需要を低下させえます。これは、特許権関連取引を不活性化させることにすら繋がるものと考えられます。

このレポートでは、以上のような議論を念頭に、知的財産権関連取引、特に特許権に関連する取引における情報の非対称性を解消し無形固定資産である特許権の流動性向上のための方策について論じます。なお、そのような知的財産関連取引としては、特に、知財担保融資に代表される知財活用融資について念頭におくものとします。その上で、日本国内又は海外において、知的財産権の取得・活用のコストを低減するための戦略について論じていきたいと考えています。とりわけ、特許出願の添付書類のうち、明細書や特許請求の範囲は、主として文章で記載されているため、各種法令や技術等に詳しい者でなければ理解が難しい傾向にあります。これに対し、図面であればそのような専門知識がなくとも理解ができる傾向にもあります。そのような考えの下、特許発明の理解を深める、という意味で、特に特許図面の役割に注目したいと考えています。特許図面の適正な利用により、特許関連取引を活性化させ、特許権取得・活用を円滑化させるための方策について考察していきます。

知的財産の流動化と図面

特許庁では、2015年より中小企業知財金融促進事業の一環として、知財ビジネス評価書作成支援事業を実施しています。この中で、中小企業が知的財産権を活用しながら金融機関から融資を受ける際に、弁理士を含む外部専門家が知財ビジネス評価書を作成する費用を助成しているようです。この背景として、90年代後半の金融機関の不良債権問題を受けて策定された金融検査マニュアルが廃止され、金融庁が、地方銀行、第二地方銀行、信用金庫、信用組合等の地域金融機関に、中小企業の(将来的な)事業性・収益性に着目した融資を実行するよう求めいます。このような現状において、特許庁によるこの事業は、地域活性化のための処方箋の一つとなる、とも期待されています。

また、2025年6月に、「事業性融資の推進等に関する法律」が成立し、2026年5月25日から、企業価値担保権制度がスタートします。企業価値担保権においては、担保権制度の観点からも中小企業の事業性・収益性に着目した融資を促進しようとしていると考えられます。金融庁の有識者会議では、この企業価値担保権における対象資産の中に、知的財産権も含まれるということが議論されていました。

しかしながら、例えば、知的財産担保融資や、それ以外の知財活用融資について検討する場合、以下のような問題がつきまといます。まず、第一に、最適資本構成に関するペッキングオーダー理論からも明らかなように、債務者となる中小企業と、債権者となる金融機関の間における、知的財産権や事業に関するする情報の非対称性が、資金調達コストとなって、融資実行のハードルを上げることが想定されます。また、第二に、資金調達コストが高まる場合、債権者たる金融機関は資本コストに応じた高めの金利を設定することにもなるため、利払いの増加による倒産リスクを高め、トレードオフ理論の観点からも金融機関からの融資を受けづらくする、と考えられます。

このような場合に、中小企業が、製品の全体像を簡潔に示した特許図面を有する特許権を保有している場合、どのような影響が生じるのでしょうか。これについては、例えば、金融機関の審査担当者に対して、知的財産権の権利内容をより的確・簡潔に説明しやすくもなり、資金調達コストを低下させる方向に作用すると考えられます。

無形固定資産に分類され、その権利範囲の解釈にあたり高度な法知識が要求される知的財産権は、一般に、取引における流動性が極めて低いものと推定されます。そのような状況においても、特許図面を活用し、取引事業者にとって理解しやすい権利を取得することにより、知的財産権の流動性を向上させ、企業の経営状態改善に寄与する可能性があると考えられます。

審査時及び権利行使時における図面の意義

このように、知財担保融資の活性化という場面において、図面を適切に活用し、関係者に解りやすい出願書類を作成することが、融資の活性化に寄与する可能性が示唆されます。一方、知的財産権の取得と活用、という場面を、これと同じアナロジーで概観していくとき、図面を適切に活用した、知的財産権の権利化戦略や活用戦略が、シグナリングという意味から、結果的に関係者間での情報の非対称性の解消につながるとも考えられます。そのような仮定を置くのであれば、図面の適切な活用が、円滑な知的財産権の権利化・活用につながる可能性もあるのではないでしょうか?

例えば、第一に、特許権の権利化の場面において、特許出願書類における図面については、特許法第36条第2項は「必要な図面」を添付させなくてはならないとしています。つまり、あくまで、図面は出願にかかる発明の理解を容易にするために提出するものであり、添付は必須ではないとされています。ただし、これに対して、実用新案登録出願については図面は必須です(実用新案法第5条第2項)。また、日本の特許法や特許実用新案審査基準等においては、図面の記載要領などは規定されておらず、作図方法については出願人の自由に任せられている。

では図面が添付された場合、図面がどのような役割を果たしているか、について検討して見ましょう。

まず、審査や審判等で行われる発明の要旨認定において、図面は以下のような役割を果たしています。

権利書としての役割を持つ、特許請求の範囲の記載には、発明特定事項が記載されます。しかし、特許請求の範囲には、発明の要旨や権利範囲に関わる事項が過不足なく記載される傾向にあるため、単にそれを通読しただけでは、意味内容を把握できない場合も多いようです。そのため、発明にかかわる技術を明らかにし、意味内容を把握するために、発明の詳細な説明や図面の記載に目を通すことは必須の作業と考えられます。

なお、リパーゼ事件は発明の要旨認定に関して、以下のように判示しています。

“最判平成3年3月8日民集45巻3号123頁”

(発明の要旨認定は)特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。

しかしながら、これは技術内容を理解した上で発明の要旨となる技術的事項を確定する段階においては、特許請求の範囲の記載を越えて、発明の詳細な説明や図面にだけ記載されたところの構成要件を付加してはならないとの理論を示したものと理解されています。よって、特許請求の範囲の意味内容を把握するために、発明の詳細な説明や図面の記載に目を通すことを否定するものではありません。

次に、侵害の成否判断において行われる技術的範囲の確定においては、特許請求の範囲の記載に基づいて行われるものではありますが、特許請求の範囲に記載された用語の意義解釈が必要な場合には、明細書の記載及び図面を考慮することとなっています(特許法第70条第1項及び第2項)。

このように、図面は、その記載をもって特許請求の範囲に記載のない要素を付加したり、発明の要旨をより狭く特定したりする、といった役割は果たすものではありません。しかし、発明の要旨認定や、特許権の技術的範囲の確定の前提として必要になる、発明や技術の内容を理解する作業において重要な役割を果たすと考えられます。

比較のための事例として、米国特許法における出願段階の発明の要旨認定については、”broadest reasonable interpretation”(最も広い合理的な解釈;BRI)と呼ばれる手法が採用されることとなっています。MPEP 2111.01によれば、BRIにおいては、明細書の記載に矛盾しない限り、特許請求の範囲の用語は「ありのままの意味(plain meaning)」を与えられるとされます。よって、参酌が許される場合には、通常、明細書の記載が最も優先して参酌されるとされているが、この意味の解釈にあたり、さらに図面も参照することができるものとされています。

アメリカ合衆国の最高裁判所庁舎の写真
アメリカ合衆国最高裁判所

一方で、連邦法の適用される米国特許訴訟については、通常、エクイティによる救済である差止請求とコモン・ローによる救済である損害賠償請求で、扱いが異なっています。コモン・ローによる救済については、当事者は、訴額が20ドルを超える場合に、事実問題(matter of fact)について陪審による評決を受ける権利を有しています。一方、エクイティによる救済の場合は、原則として、当事者は、事実問題について陪審による評決を受ける権利を有していません。いずれにせよ、特許請求の範囲の解釈において、何が事実問題であり、何が法律問題(matter of law)であるか、が問題となります。この点について、連邦最高裁判所は1996年に特許請求の範囲の文言解釈(Claim Construction)は法律問題であり、判事が決定すると判決しました。

このため、通常、米国特許訴訟では、判事がマークマン・ヒアリング(Markman hearing)と呼ばれる審問手続により、特許請求の範囲の文言解釈を行います。この特許請求の範囲の文言解釈においては、まず、当事者間で解釈に争いのある特許請求の範囲の文言を絞り込む作業を行います。その後、原告被告共同でJoint Claim Construction and Prehearing Statementを裁判所に提出すると共に、次いで、マークマン主張書(Opening Markman BriefsやResponding Markman Briefs)等を提出します。そして、ディスカバリーやマークマン・ヒアリングを経てマークマン決定(Markman Order)がなされるようです。

これらの書面及び手続においては、各当事者の主張や裁判所の認定を裏付ける証拠が提出されます。特許請求の範囲の文言解釈のための証拠は、大きく分類して内部証拠(Intrinsic Evidence)及び外部証拠(Extrinsic Evidence)に分けられ、外部証拠に対して内部証拠がより優先して考慮される、とされています。この内部証拠には、例えば、特許請求の範囲、明細書、図面、審査経過、再審査や再発行の経過等が含まれる、とされています。

特許請求の範囲の文言解釈は、このように、明細書だけではなく、図面も考慮しつつ行われます。その後、当事者が陪審による評決を受ける権利を放棄しない限り、陪審が、マークマン・ヒアリングにより画定された特許請求の範囲の文言解釈に基づき、事実としての特許権侵害の有無を判断します。

このように、日本国特許法と米国特許法を概観するとき、審査過程と権利化後で特許請求の範囲以外の添付書面のウエイトに多少の差異はありますが、必要に応じ/必要的に図面も含む出願書類の内容を参酌して、発明の要旨認定/特許発明の技術的範囲の認定を行なっている、という点は共通しているものと考えられます。また、米国法においては、特許法についての十分な知識を有していないと考えられる陪審が、マークマン・ヒアリングにより画定された特許請求の範囲の文言解釈に基づいて、特許侵害の有無を判断している点が特徴的です。陪審が事実として特許権侵害の有無を判断するとき、特許製品の全体を示した全体図が出願書類に含まれている場合には、無意識的にであっても、当該全体図と被疑侵害物件の目録を対比することも十分にあり得ると考えられます。

以上の状況を総合的に考慮したとき、日米での審査局面においては、出願書類に、製品の全体像や、効果発現のメカニズム等を端的に示した図面があれば、出願人が意図する発明の構成や効果を、図面を参酌しながら説明することもできます。また、通常、図面を用いない化学・バイオ系発明においても、顕著な効果の度合い等を図示した図面等が発明の理解を助ける場合もありえます。この場合、特許出願人と審査官との間で不要な誤解が生じて、必要以上に拒絶理由対応に手間取る、というような状況を回避することもできると考えられます。また、知財訴訟の局面においても、特許権者が、自身の立場を効果的に判事や陪審に伝え、自身の意図した判決を得る上で、特許製品をわかりやすく図示した特許図面は、多少なりともプラスに作用する可能性もあります。ただし、これらの議論の前提として、実際に、特許図面が権利範囲に包含されているかどうか、という議論は別途行われる必要はある点には注意が必要です。このように、特許権の権利化・権利行使において、特許図面を効果的に活用していくことは、不要な手間とコストの発生を防止しながら、権利を取得し、権利行使していく上では重要なことであるとも考えられます。

海外での権利化における特許図面の意義

ところで、ここ数年、5G関連技術等の大容量通信技術の発達とコロナ禍等による社会構造の劇的な変化にともない、電子商取引の規模が継続的に拡大しています。2023年の調査によると日本国内のB to C-EC (e-commerce)市場は24兆8,435億円であったようです。2014年の同市場規模が12兆7,970億円であったので、10年間で約2倍に拡大したことになります。さらに、日本の越境B to C-EC市場(米国・中国)の市場規模は4,208億円となりました。

2014年から2023年のBtoC EC市場の市場規模推移。2014年12兆円7970億円、2015年13兆7746億円、2016年15兆1358兆円、2017年16兆9845億円、2018年17兆9845億円、2019年19兆3609億円、2020年19兆2779億円、2021年20兆6950億円、2022年22兆7449億円、2023年24兆8435億円。
BtoC EC市場の規模の推移; 令和5年度デジタル取引環境整備事業「電子商取引に関する市場調査」報告書(2024)から抜粋して編集

このような流れの中で、商取引に付随する各種法律問題は、特に国境を超える形で複雑化・多様化しています。一例を挙げれば、日本の消費者が越境ECサイトを利用して海外から直接模倣品を輸入する事例の増加が挙げられます。模倣品の越境取引において、輸入・販売業者などの国内の事業者が輸入する場合には、その事業者による模倣品の「輸入」が特許権等も含む知的財産権の侵害となりえます。このため、税関が当該模倣品を知的財産権侵害物品と認定して、没収等することが可能ではあります。しかし、消費者個人が海外から模倣品を輸入する場合、「輸入」の主体は国内の個人であることから、特許権等の侵害とならず、税関で模倣品を没収等することができないとされています。

これは、特許権侵害が成立するためには「業として」輸入される必要があるためです(特許法第68条本文、第2条第3項第1号及び同項第3号)。消費者が個人で使用する目的で購入する限りは、業として為されるものではないため、知的財産権の侵害とならないとされています。

なお、意匠法及び商標法については、海外の事業者を侵害主体として、海外の事業者が国内の者に模倣品を直接送付する場合について、日本国内に到達する時点以降を捉えて、意匠権侵害行為または商標権侵害行為であると明確化する改正が行われています。このため、現在では消費者個人が海外から模倣品を輸入する場合、意匠権又は商標権の侵害が成立する限りにおいて税関で模倣品を没収等することができます。しかし、特許法については、そのような立法措置がなされていないため、国内特許権の権利範囲に属する模倣品を消費者個人が輸入する場合には税関で輸入を差し止めることができません。結果として、特許権者としては、たとえ、外国において事業展開を行っていなかったとしても、外国において特許権を取得し当地において権利行使を行わなくてはならなくなります。

また、海外で特許権等の知的財産権を取得する場合、日本との知的財産権法制の違いや、手続言語の違いにより、手間とコストが必要となる場合も多いと考えられます。もちろん、知的財産権法は、パリ条約やTRIPS協定等により一定程度の国際調和も図られています。しかしながら、通常、国内で知的財産権を取得する場合よりも、海外で知的財産権を取得する場合の方が、より多くの手間とコストが必要となる傾向にあります。このような国内と海外での所要工数、所要コストの差は、対象となる日本企業が海外において特許権を取得し当地において権利行使を行う際の障壁として作用します。

一方、より理解の容易な特許図面の添付により、出願に係る発明や特許発明の技術的な理解が進めば、出願人-現地代理人、出願人-現地特許庁審査官、特許権者-執行担当官との間の情報の非対称性が解消する可能性もあります。このような場合、海外における特許権の取得や当地における特許権の行使を円滑化することに寄与する可能性もありえます。

税関差止めにおける特許図面の意義

現状、税関差止めにおいては、特許権に基づく差止めの件数は極めて少数であり、ほとんどが商標権や意匠権に基づく税関差止めです。どのような方策を講じれば、税関差止めにおける特許権の利用が促されるかについて、事例をもとに、以下で検討してみます。

財務省の令和2年の統計によれば、日本国税関における輸入差止点数は、点数ベースで、商標権侵害物品が70.7%で圧倒的に多く、続いて意匠権侵害物品が10.9%と比較的多くなっています。これは意匠権侵害物品は意匠図面と物品を比較することにより比較的容易に侵害の成否の判断が可能であるためと推測することができます。

知的財産権・知的財産別の輸入差し止め点数の割合(2019, 2020年)、2019年は商標権82.5%, 著作権8.4%、意匠権4.5%、特許権1.9%で、2020年は商標権70.7%、著作権12.4%、意匠権10.0%、特許権6.9%。
知的財産権の種別ごとの輸入差止案件の割合(点数ベースで集計);財務省、「令和2年の税関における知的財産侵害物品の差止状況(詳細)」から抜粋して編集

上述のとおり、日本国税関では長らく特許権侵害に基づく差止件数が極めて少なかい状況が続いていました。しかしながら、近年、図面を積極活用したと思われる特許権侵害に基づく税関差止めの事例が増加しています(令和2年の実績は40,523点で令和元年比110.9%増)。具体的には、スマートフォン等のグリップ・スタンドという侵害の判断が比較的容易な物品(特許第6091438号等)につき、輸入差止申立てがなされたため、特許権侵害に基づく税関差止めの件数が増大したと推察されます。

スマートフォンスタンドの特許図面、スマートフォンスタンドの背面に、蛇腹状の構造物が2つ配置されている
特許6091438号の特許公報掲載の図面(一部、左から図1A, 図1B, 図2)

このグリップ・スタンドの特許権は、米国仮特許出願及び米国特許出願に基づくPCT出願の国内移行出願に由来しますが、意匠図面にも見劣りしない特許図面が添付されています。そして、初回の拒絶理由通知への対応の際に各独立請求項に追加され、各特許発明の特徴部分となっていると推察される、「錐体形状を形成し、畳み込まれることでケース本体に収容される蛇腹の構造」が、特許公報の図2から図4を始めとして各図面に詳細に描き出されています。このように、本件特許権の特許公報の図面においては、特許権の権利範囲も考慮に入れた上で、その特徴部も含めて図面により詳細に説明されており、これが税関での差止めを容易にしている可能性があると考えられます。後述するとおり、米国特許出願は、35 U.S.C. 113及びPatent Rule 1.83の規定に従い、特許出願における図面作成のための要件が詳細に決められています。米国特許出願では、特許を受けようとする主題の理解に図面が必要な全ての特許出願で、発明品の全体図を含めた詳細な図面が添付されています。このような、特許出願に添付された詳細な図面は、特許技術に関する知識を必ずしも持ち合わせてない担当行政官であっても比較的容易に侵害の成否を判断することができるという意味において、権利者と税関職員の間に横たわる情報の非対称性を軽減し、デッドコピー品の差止めを容易にしているとも考えられます。

特許明細書の不自然訳・誤訳問題

通常、外国で特許権を取得する場合、特許出願書類の翻訳作業が発生します。通常の書籍の翻訳などとは異なり、特許出願書類の翻訳作業は、翻訳の過程における新規事項の追加を回避するため、日本語原文の語句を一語一語逐語訳することが多いと指摘されています。同様の過程で英語から日本語に翻訳されたPCT日本国国内移行案件の出願書類の日本語を見れば明らかではありますが、このような翻訳は多くの場合、英語を母語とするものにとっても理解が難しい傾向にあるとも言われています。このため、特許出願の審査過程における審査官による発明の要旨認定や、特許侵害訴訟の段階での技術的範囲の認定、被疑侵害物件の権利範囲属否の認定で、出願人・特許権者に意図されない形の解釈がなされる危険性を持っているとさえ言える可能性もあります。

また、例えば、タイ語、ベトナム語、インドネシア語、ドイツ語、ロシア語、フランス語等、日本語からの直接の現地語への翻訳が難しい言語については、日本語から英語への翻訳に続いて英語から現地語への翻訳が発生します。このため、より一層、誤訳や不自然訳の問題を生じさせることとなりえます。実際、日本貿易振興機構バンコク事務所が2019年に実施した調査では、日本の出願人のタイ、ベトナム、インドネシアの特許権のうち、45.6%の特許権の独立請求項において、権利行使を困難にしうる誤訳が含まれている、と報告されています。しかもこの調査時点にいて、タイ及びベトナムでは登録後の訂正が認められない、とも報告されています。

ASEAN諸国において成立した特許権の独立請求項における誤訳の割合。タイ王国化学30.0%、機械80.0%、電気30.0%、全体46.7%。ベトナム化学30.0%、機械60.0%、電気40.0%、全体43.3%。インドネシア化学60.0%、機械40.0%、電気40.0%、全体46.7%。全調査対象国全体化学40.0%、機械60.0%、電気36.7%、全体45.6%。
ASEAN諸国において成立した特許権の独立請求項における誤訳の割合(日本貿易振興機構バンコク事務所「タイ、ベトナム、インドネシアにおける特許クレームの翻訳の質の調査」(2019)から抜粋して編集)

例えば、権利行使の局面を考慮した場合、特許請求の範囲に完全な誤訳があって、そもそも、全く意味が変わってしまった場合はともかく、軽微な誤訳や不自然訳に止まる場合には、翻訳の必要のない図面の参酌により、権利範囲が適正に解釈される可能性があると考えられます。また、特許請求の範囲と図面との間に不整合があれば、翻訳者が図面を参照することにより誤訳の発生そのものを防止できたり、現地代理人や審査官から権利化前に指摘を受けたりする可能性もあります。このことから、これらの外国出願において、権利範囲を示す特許図面を積極的に活用することの重要性が示唆されます。また、このような点を考慮すれば、特許図面の活用が、手間やコストが掛かりすぎることを回避しつつ、効果的な権利化・権利行使を可能にしうるものであるとも考えられます。

まとめ

以上のように、このレポートでは、特許図面を積極的に活用することにより、特許権が関わる各種の手間とコストを低減し、知財担保融資、権利取得、権利行使等を円滑化する可能性がある点について試行的に議論しました。特に、知財担保融資の円滑化は、無形固定資産である特許権の流動化を促進する可能性もあります。このため、例えば、不動産や製造設備等の有形固定資産を持ち合わせておらず、無形固定資産を主たる資産とするIT系スタートアップ企業の資金調達の成功の可能性を高めうる可能性もあり、知的財産権の活用促進というコンテクストにおいて大きな意義が見込まれる可能性もあります。

また、2021年12月に、東京証券取引所は、改訂されたコーポレートガバナンス・コード(CGC)において、「情報開示の充実」の項目の補充原則で「経営戦略の開示に当たって、・・・(中略)・・・人的資本や知的財産への投資等についても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである」と規定し、上場企業と投資家の間での、知的財産権に関する情報の非対称性の解消のための方策を打ち出しています。日本政府の定める「未来投資戦略2018」にも規定される、イノベーションによる経済成長を図っていく上でも、企業の知財戦略を、広く一般の投資家や国民に周知していく重要性も高まっていると考えられます。

そして、このような金融機関や投資家を意識した知的財産権の見える化(情報の非対称性の解消)に向けた取り組みは、出願人・国内代理人と、審査官・審判官、裁判官・陪審員、現地代理人等との間の情報の非対称性の解消にも働き、従来の知的財産権関連業務の枠組みの中でも、各種手続・業務の効率化をもたらしうるとも考えられます。

米国では、プロパテント政策的側面から、特許権取得のハードルを低下させつつ、権利行使により得られる損害賠償額を増大させました。その結果、特許権関連取引が活性化したということは、特許権を市場で購入して権利行使のみを行なっていく、パテントトロールが跋扈したことからも明らかです。こういった観点からも、出願に係る発明や特許発明を、図面を含めた出願書類全体を通じて分かりやすく説明することにより特許権取得のハードルが低下すれば、特許権関連取引の活性化にすら作用しうる可能性もありえます。

このレポートではあくまで、図面に焦点を当てて、情報の非対称性解消の重要性について論じました。しかし、知財業界において、長年、読み手に分かり易い出願書類の作成が求められてきたことは言うまでもないことです。知的財産権の新たな活用の途に思いを馳せつつ、従来言われていた出願書類作成に当たっての基本動作の質を高めていくことは、自己研鑽を義務とする弁理士の本来的職責の一つである、とも言えるように考えています。

なお、参考までに、米国では、特許図面の作図については、法令上厳密な要件が課されていることが知られています。まず、35 U.S.C. 113においては、「特許を受けようとする主題の理解に必要なときは、図面を提出しなければならない」旨が規定されています。そして、出願にかかる主題の内容が図面によって明示することができる場合において、出願人が図面を提出していない場合には、特許庁長官は図面の追完命令を発送することができる旨、規定されています。また、作図にあたっての詳細につては、Patent Rule 1.83に規定されています。より具体的には、(i) 特許請求の範囲に記載されている発明の全ての特徴を図示すべきこと、(ii) 所定の方式で注釈をつけるべきこと、(iii) 従来の装置の改良である発明においては、改良部分自体を従来の構造から切り離した部分図を添付するべきこと、等が規定され、米国特許出願がこの要件を充足していない場合は、審査官が図面の追完を求めることができる旨も規定されています。

このように米国特許法及び関連規則では、図面の作図様式が詳細に規定され、米国特許商標庁の審査官が図面の内容を審査して、図面についての所定の要件を充足しない出願に対してその補完を求めていることは、日本における特許実務とは対照的です。OECDの2019年の報告書において、知財担保融資が活発に実施されている、と指摘されており、イノベーションにより牽引される高い経済成長率を誇る米国において、このような特許図面作成のための要件を明示的に規定し、審査官、判事、陪審、競合事業者、取引事業者にも理解しやすい知的財産権の取得が奨励されていることは、我が国の産業政策のあり方を検討する上でも、大いに参考になると考えられます。


この記事を書いた人

腕を組んで壁によりかかる渡辺浩司の肖像

渡辺浩司 (Koji Watanabe)

東京知的財産コンサルティング事務所(Tokyo IP Consulting)代表弁理士。東京大学理学部卒業、同大学院理学系研究科修士課程修了、同博士課程中退。2006年より弁理士。特定侵害訴訟代理業務付記。2級ファイナンシャル・プランニング技能士。2014年にドイツ連邦共和国 Eisenführ Speiser・大韓民国YOU ME特許法人インターン。複数の大手特許事務所・特許法律事務所に勤務。都内弁理士事務所所長代理。独立行政法人日本貿易振興機構イノベーション・知的財産部出向。外資系設計会社財務・法務担当(役員ポジション)等を経て東京知的財産コンサルティング事務所設立。現在、プログラマーとしても活動中。主要取扱言語は、Web系言語全般、ruby、PHP、Python等。 


Reference

  1. 渡辺 浩司, 星野 真太郎(特許庁模倣品対策室国際情報専門官) , 「情報の非対称性の解消に特許図面が果たす役割」,月刊パテントVol.75, No. 8, p.67-75, 日本弁理士会(2022)[Link][YouTube]
  2. George A. Akerlof, “The Market for “Lemons”: Quality Uncertainty and the Market Mechanism”, The Quarterly Journal of Economics, Vol. 84, No. 3., p. 488-500 (1970)[Link]
  3. ただし、実際には、情報の非対称性を解消するのみで取引の円滑化が進まない場合もある。萩原駿史,「情報の非対称性のある市場に関する新たな問題」西南学院大学大学院研究論集第4巻第3号, p.79-93 (2016)には、需要者-供給者の間での需給の不一致が存在し、そのような需給の不一致が解消されない場合には、情報の非対称性を解消しても、取引の円滑化が進まない、と説明されている。そのような状況において、いわゆる知的財産権の需要を喚起するための施策が重要となるが、本稿後半で論じる知的財産権取得・活用のためのコスト低減策は、結果的に、特許権者の手元に残る利益を増やす方向に作用するため、知的財産権の需要を喚起する可能性があると考えられる。
  4. 藤原綾乃,「知財担保融資の将来性~中小企業の知的資産経営と金融機関~」,月刊パテントVol. 68, No. 5, p.90-99, 日本弁理士会(2015)[Link]
  5. 渡辺浩司,武井健浩,「スタートアップの資金調達と知的財産の役割」, 月刊パテント Vol. 74, No. 1, p. 95-101, 日本弁理士会(2021) [Link][Summary][JETRO’s Report][YouTube]
  6. 金融審議会市場ワーキング・グループ報告 ~国民の安定的な資産形成に向けた取組みと市場・取引所を巡る制度整備について~(平成28年12月22日)
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  9. 本庄裕司,「スタートアップ企業の資本構成」,特集/組織のファンディング,組織化学Vol. 49, No. 1, p. 4-18(2015)
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  13. “Under a broadest reasonable interpretation (BRI), words of the claim must be given their plain meaning, unless such meaning is inconsistent with the specification. The plain meaning of a term means the ordinary and customary meaning given to the term by those of ordinary skill in the art at the time of the invention. The ordinary and customary meaning of a term may be evidenced by a variety of sources, including the words of the claims themselves, the specification, drawings, and prior art. However, the best source for determining the meaning of a claim term is the specification – the greatest clarity is obtained when the specification serves as a glossary for the claim terms. The words of the claim must be given their plain meaning unless the plain meaning is inconsistent with the specification.”
  14. Seventh Amendment to the United States Constitution. “In Suits at common law, where the value in controversy shall exceed twenty dollars, the right of trial by jury shall be preserved, and no fact tried by a jury, shall be otherwise re-examined in any Court of the United States, than according to the rules of the common law.”
  15. Markman v. Westview Instruments, Inc.
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  18. (独)日本貿易振興機構バンコク事務所 特許庁委託事業「タイ、ベトナム、インドネシアにおける特許クレームの翻訳の質の調査」(2019)[Link]
  19. Martin Brassell and Kris Boschmans, OECD SME and Entrepreneurship Paper, “Fostering the use of intangibles to strengthen SME access to finance”(2019)[Link]

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